ひそひそまつり

日々のことをひそひそと。

ちづこさんのこと

 叔母が家に来た。お盆のお参りだったのだ。終ってから、近所のうどん屋さんでお昼ご飯を食べた。そこで、ちづこさんについての話を聞いた。
 ちづこさんは祖母の友達の娘さん。そして叔母の友達であった。叔母もちづこさんも音楽を生業としていた。叔母はピアノ、ちづこさんは声楽。ちづこさんは学校を卒業して、イタリアのヴェネツィアに渡り、オペラ歌手として活動されていた。
 2年前、ちづこさんが帰国されていた時に、僕はお会いして話す機会があった。ちづこさんに届けものをするように頼まれて、それを持っていったら、ちょうど夕食の時間で、一緒に食べさせてもらった。ちづこさんはオペラ歌手という職業柄、とても声が力強かった。ヴェネツィアという都市について、イタリアの文化について、それからイタリアのちづこさんの友人のアーティストについて、とか色々なお話を聞かせてもらった。ちづこさんは叔母から僕が詩を書いているという話を聞いていて、是非読んでみたいと言ってくれたので、後日、僕は自分が書いたのをちづこさんにお届けした。
 数日後、家に帰ると、ちづこさんからの贈り物が届いていた。そこには1冊の本とちづこさんからの手紙が入っていた。本はちづこさんの友人のマルチェッロさんという方の作品集だった。彼は海岸で流木を拾って、それを用いて創作を行うといった活動をされていて、ちづこさんは僕の詩を読んで、マルチェッロさんの作品を思い起こされたので、作品集を送りますと手紙に書いてくれていた。その作品集のタイトルひとつひとつの下にイタリア語が読めない僕の為にちづこさんは日本語でそれを訳して書いてくれていて、僕は昨年「なりゆきペガサス」という作品の展示をしたのだが、それを創作する時には、その作品集のマルチェッロさんの作品とちづこさんの文字を何度も何度も見返しながら、そこに喚起されて書き進めていったのだ。ちづこさんがくれた手紙の最後には「詩に表現されているあなたが持つ世界を、これからもずっと持ち続けていて下さい。」と書いてくれていた。
 そのちづこさんが亡くなったということを、今年の春頃、叔母からのメールで知った。ちづこさんがイタリアで亡くなったから、叔母や何人かの友人が集まって、追悼コンサートを開催するとのことだった。僕の中では、ちづこさんの力強い声が残っていて、それに今度日本に戻って来られた時には、「なりゆきペガサス」を読んでもらおうと思っていて、ちづこさんが亡くなったということは、呑み込むことが出来なかった。
 叔母は家に来る前にちづこさんの家に行き、ちづこさんのお母さんからちづこさんが最後に書いた手紙を読ませてもらったらしい。ちづこさんは体に悪性の腫瘍ができていて、それがどんどん広がっていき、最後はホスピスで、イタリアでちづこさんと生活を共にされていた愛する人に見守られて、亡くなられたとのことだった。ちづこさんの最後の手紙には、自分が亡くなった後の遺品の処理について、自分の埋葬の仕方について、ちづこさんの周りにいた方々への感謝の気持ちが綴られていたそうだ。その手紙の内容は実にちづこさんらしいものであったと叔母は言っていた。