ひそひそまつり

日々のことをひそひそと。

健気 

タイ料理の店に行った。
その従業員の一人が
タイからの留学生で
少し覚束ない感じの日本語で
一生懸命に注文を聞く姿が
とても健気であった。
隣のテーブルで彼がオーダーをとっている時とか
頑張れ、と心の中で叫んでいた。
彼の健気さはどこからくるものなのか。
覚束ない日本語であるから
彼の態度を健気と感じるのか。
もしここが彼の母語である
タイ語が存分に使える所であるのなら、
彼は健気ではなくなるのであろうか。
わからない。もしかするとそうなのかもしれない。
だが、現実問題、今ここでは、
健気ではない彼というのが
僕には想像ができなかった。
いついかなる時でも彼は健気だ。
そりゃ、人間だから
傲慢になることもあるかもしれない。
しかし、それはきっと
健気さ溢れる傲慢さであるはずなのだ。
それにしても、
生春巻きがぴりっとしていておいしかった。